我が家には田舎のお寺に代々続くお墓がありました。曹洞宗のお寺だったのですが、特に信仰していたわけではありません。昔から墓があったというだけで維持・管理にお金がかかってしまいます。家族が亡くなった場合にもお寺に供養を頼まなければいけません。父は信仰心があるわけでもなく昔からの付き合いでお寺にお墓を持っているのはおかしいと考え墓じまいをすることにしました。現在は遺骨を自宅に保管している状態です。自宅に遺骨を保管した方がより故人を近くに感じることができます。また私の家では家族で話し合い故人が希望する場合には海に散骨をすることになっています。そもそもブッダの教えではこの世に執着するから苦しみが生まれるとされます。執着を捨ててれば苦しみからも解放されるというのがブッダの教えなのにお墓に執着するのはおかしな話です。何よりも人の死を利用して商売をしている日本の仏教の在り方に疑問を感じます。墓じまいをしたのは正しい判断だったと思います。 そもそもお墓やお葬式というものは残された者の満足のためにあるのではないでしょうか。故人はもはやこの世のこととは何の関係もありません。生きているうちは様々な欲望を抱き苦しむものです。しかし死んでしまえば欲望を抱くことがなくなり苦しみも消えます。お墓を作りこの世に執着することは本来の仏教からすればおかしなことだと思います。お墓を作ったりお葬式をすれば高額な費用もかかります。我が家のお墓は自宅からかなり離れた田舎にありました。私の家族は毎日忙しく気軽に供養に行くこともできません。墓じまいをして自宅に遺骨を保管していれば、常に近い場所で生活することができます。自宅に遺骨があることで普段から故人を意識することになります。我が家では遠い田舎のお寺にお墓があることに何の意味もないという結論に達しました。毎年無意味に費用が発生するだけのお墓を維持するよりも、墓じまいをして身近な場所に遺骨を置いておいた方がよいと思います。